3月11日、例年行われている岩手、宮城、福島三県による慰霊祭が、当会常任委員の藤原六県議長が斎主を、また菅原会長が祭員を奉仕し、他7名の会員の参加のもと、福島県浪江町初發(しょはつ)神社にて斎行された。
祭典では14時46分に黙祷の後大祓詞を参列者一同で奏上し、修祓、招霊、献饌に続き藤原六県議長が祭詞を奏上し、浦安の舞奉奏の後、玉串を奉って拝礼した。
道中では除染の為に取り除かれた土がサンドバックで何百と無造作に積み上げられていたり、人が住んでいるのかわからない状態の家々が連なっていて震災の生々しさを久しぶりに感じた。
春の日差しはあったが、風は冷たく肌寒い日。海はとても穏やかだった。
この時期になると「あの時を忘れない」という言葉をメディアで目にする。あの時から6年目の今日、「そのために」我々がしてきたことは一体何か。
あの時を経験していない子どもたちは今年小学1年生になる。あと10年もすればほとんどの子ども達があの時を知らないまま日々を過ごしていく。
高い防潮堤で海が見えない世界、予知技術の進歩で地震発生を数秒先に察知できる事実、減災という言葉に付随する安心感だけが独り歩きする。
我々生物が持つ「恐怖」という感情は決して退化させてはいけない。万事を尽くしても最終的にはその人の「判断」が生きるか死ぬかの境界線となる。そういった意味で、あの時のリアルをそのまま伝えていくのではなく、「そのために何をしたか」「これから先何をしていくべきなのか」を伝えていきたい。
年々参加者が少なくなっている慰霊祭の会場を見ながらそんなことを考えた。