岩手県神道青年会の広報「巌神青」714号を発行しましたので
下記のリンクよりPDFファイルを開いてご覧下さい。
3月11日、例年行われている岩手、宮城、福島三県による慰霊祭が、当会常任委員の藤原六県議長が斎主を、また菅原会長が祭員を奉仕し、他7名の会員の参加のもと、福島県浪江町初發(しょはつ)神社にて斎行された。
祭典では14時46分に黙祷の後大祓詞を参列者一同で奏上し、修祓、招霊、献饌に続き藤原六県議長が祭詞を奏上し、浦安の舞奉奏の後、玉串を奉って拝礼した。
道中では除染の為に取り除かれた土がサンドバックで何百と無造作に積み上げられていたり、人が住んでいるのかわからない状態の家々が連なっていて震災の生々しさを久しぶりに感じた。
春の日差しはあったが、風は冷たく肌寒い日。海はとても穏やかだった。
この時期になると「あの時を忘れない」という言葉をメディアで目にする。あの時から6年目の今日、「そのために」我々がしてきたことは一体何か。
あの時を経験していない子どもたちは今年小学1年生になる。あと10年もすればほとんどの子ども達があの時を知らないまま日々を過ごしていく。
高い防潮堤で海が見えない世界、予知技術の進歩で地震発生を数秒先に察知できる事実、減災という言葉に付随する安心感だけが独り歩きする。
我々生物が持つ「恐怖」という感情は決して退化させてはいけない。万事を尽くしても最終的にはその人の「判断」が生きるか死ぬかの境界線となる。そういった意味で、あの時のリアルをそのまま伝えていくのではなく、「そのために何をしたか」「これから先何をしていくべきなのか」を伝えていきたい。
年々参加者が少なくなっている慰霊祭の会場を見ながらそんなことを考えた。
東北沿岸部を中心に未曾有の被害をもたらし、多くの命が失われた東日本大震災の発生から6年。この慰霊祭は神社庁気仙支部にて毎年斎行されており、本年は陸前高田市広田町の広田漁港を斎場とし、当会に於いて参列、奉仕の助勢をさせて頂いた。
気仙支部の皆様と時間を合わせ現地に八時に集合し、斎場の設営や参列者への撤下品の準備、祭儀の習礼を行った。
11時から始まった慰霊祭は、気仙支部員によるご奉仕のもと、約150名もの参列者と共に厳粛に執り行われ、犠牲になられた方々の御霊に御冥福をお祈り申し上げた。
祭儀では、高橋副会長が青年会を代表し玉串奉奠、榊原地区委員は祭員、菅原(正)地区委員・駒形地区委員・菊池書記は伶人奉仕、花輪地区委員は撮影係、奥山会員は参列をして助勢した。
慰霊祭終了後、荒木支部長や今回の会場である地元の黒崎神社の総代よりあいさつを賜った。
片付けを終え広田公民館に移動し、そこで気仙支部の皆様と昼食をともにし、荒木支部長より「これからも慰霊祭は続けていくので、また青年会には手伝いをお願いします」との言葉を頂戴した。
本年も強風の中での斎行となったが、今までの経験を活かし祭具が風で飛ばないように工夫するなどして無事に慰霊祭を終えることが出来た。